タカヒロの日記

読んだ本や好きなものについて解説と感想を書いていきます。

【感想】『風の歌を聴け』(村上春樹)の感想

相変わらず読書は続けていたけど、ブログに書きたい本がなかったので今回はすでに何度か読んだ村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の感想を書いてみました。

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』は昭和54年(1979年)、私が生れる17年前、今から40年前の作品です。この40年間で世の中は大きく変わったし、作品の中に出てくるLPやピンボールといった単語からは少し時代を感じます。

村上春樹という作家に対する評価も大きく変わったんだろうな、と思いますが、私が村上春樹を始めて読んだ時、村上春樹はとっくに世界的な作家で、「村上春樹を好きな自分が好きな奴www」みたいな風潮がありました。最初に読んだ村上春樹は当時新刊だった『1Q84』で、中学生だった私にはよくわかりませんでした。今読んでもよくわからないかもしれません。

いずれにしても、村上春樹について何かを意見するのは本当に勇気がいることのような気がします。なので、感想だけ語っていきます。

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この本について

 言わずと知れた村上春樹のデビュー作。

いつもはあらすじ、と題してその本をまとめたりするのだが、特に何も起こらない物語なので、今回は省略する。物語よりも、この小説の言葉に触れて私が感じたことを書いていきたいと思う。

冒頭の名言

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

 後にノーベル文学賞の候補となる村上春樹という作家のデビュー作は言わずと知れたこの文章で始まる。

大学受験のころから国語が得意だった私はこういう文章を見るとつい、『「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」とあるが、これはどういうことか、説明せよ。』みたいな設問を思い浮かべてしまう。そして、”完璧な文章”と”完璧な絶望”について、わかりやすい言葉に言い換えて、倒置法を元に戻して、何となく理解したような気持になってしまいたくなる。

しかし、この本の中で”完璧な文章”が何なのか、”完璧な絶望”が何なのかを説明するような箇所はなく、受験問題みたいに決まった答えが用意されているわけではない。解釈は人によって異なるだろうし、他の人がどんな風にこの文章をとらえたのかはぜひ聞いてみたい。

ちなみに私は”完璧な文章”を「自分の主観(感情や思考)が100%伝わる客観的な文章」ととらえて、主観は主観だから客観になり得ない→人は完全に分かり合うことなどできない、と解釈し、”完璧な絶望”については、かといって0%ってわけでもない→人は少しは分かり合える、と解釈した。

文章をかくという作業

「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分を取り巻く事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」

この小説ではデレク・ハートフィールドという仮想の作家があたかも実在するかのように描かれる。主人公の「僕」はデレク・ハートフィールドから文章についての多くのことを学んだと語るが、一方で彼の文章について「文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙であった。」と評価している。

そのハートフィールドが良い文章について述べたのが上の文章だ。

この主張には正直言うと引っかかった。私は文章をかくというのはもっと能動的なコミュニケーションではないかと考えているからだ。周囲の事物との距離を確認するような文章といわれると閉鎖的でコミュニケーションの手段って感じではないよなあ、と感じた。

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ハートフィールドは右手にヒットラー肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び降り自殺した設定

みんな同じさ

でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いのもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる。金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並外れた強さを持った奴なんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持っているやつはいつか失くすんじゃないかと ビクついてるし、何も持ってない奴は永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だからそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。

「そうだね。しかし一晩考えて止めた。世の中にはどうしようもないこともあるんだってね。」という鼠に主人公の僕が言ったのが上のセリフだ。「あんたは本当にそう信じてる?」「嘘だといってくれないか。」と鼠は言ったが、私はこの言葉にむしろ勇気づけられた。

私の通う東京大学日本で一番学生のレベルの差が大きい大学だと思う。非凡な才能があふれるこの大学で、私のような平凡な学生は時々どうしようもない自虐的な感情に苛まれる。だが、私たちがみんな故障した飛行機に乗り合わせたようなものだったら?みんな死とか喪失とかにビクついて、強い振りをしているだけだとしたら?無力感を感じる一方で、彼らにも親近感を抱くことができるかもしれない。彼らは、みんな同じなんだといち早く気づいて、ほんの少しでも強くなるために努力をしているだけなのかもしれない。ならば私だって、、、という気持ちにもなれる気がする。

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ちょっと勉強が得意なだけの凡人と世界クラスの天才が一緒に学ぶ大学

おわりに

このエントリーで抜き出したのはわずか3つの文章ですが、いろいろと考えながら書いたので結局書き始めてから1か月くらいたってようやく投稿します。(本当は忙しくてあんまり真面目に書いてなかったのが理由の大半です。)

村上春樹が好きな作家かと問われると実はそうでもなくて、でも村上春樹が影響を受けたといわれる時代のアメリカ人作家の本とかは結構好きで、フィッツジェラルドとかはもっといろいろ読みたいですね。

ただ、このブログではできるだけ経済学関連の面白い本とかを紹介しつつ、自分の備忘録的に使いたいと考えているので小説のレビュー・感想文は今後もそんなに書くつもりはありません。

拙い文章で知識量の少なさも透けてますが、これからも読んでくださると幸いです。