タカヒロの日記

読んだ本や好きなものについて解説と感想を書いていきます。

【感想】『風の歌を聴け』(村上春樹)の感想

相変わらず読書は続けていたけど、ブログに書きたい本がなかったので今回はすでに何度か読んだ村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の感想を書いてみました。

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』は昭和54年(1979年)、私が生れる17年前、今から40年前の作品です。この40年間で世の中は大きく変わったし、作品の中に出てくるLPやピンボールといった単語からは少し時代を感じます。

村上春樹という作家に対する評価も大きく変わったんだろうな、と思いますが、私が村上春樹を始めて読んだ時、村上春樹はとっくに世界的な作家で、「村上春樹を好きな自分が好きな奴www」みたいな風潮がありました。最初に読んだ村上春樹は当時新刊だった『1Q84』で、中学生だった私にはよくわかりませんでした。今読んでもよくわからないかもしれません。

いずれにしても、村上春樹について何かを意見するのは本当に勇気がいることのような気がします。なので、感想だけ語っていきます。

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この本について

 言わずと知れた村上春樹のデビュー作。

いつもはあらすじ、と題してその本をまとめたりするのだが、特に何も起こらない物語なので、今回は省略する。物語よりも、この小説の言葉に触れて私が感じたことを書いていきたいと思う。

冒頭の名言

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

 後にノーベル文学賞の候補となる村上春樹という作家のデビュー作は言わずと知れたこの文章で始まる。

大学受験のころから国語が得意だった私はこういう文章を見るとつい、『「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」とあるが、これはどういうことか、説明せよ。』みたいな設問を思い浮かべてしまう。そして、”完璧な文章”と”完璧な絶望”について、わかりやすい言葉に言い換えて、倒置法を元に戻して、何となく理解したような気持になってしまいたくなる。

しかし、この本の中で”完璧な文章”が何なのか、”完璧な絶望”が何なのかを説明するような箇所はなく、受験問題みたいに決まった答えが用意されているわけではない。解釈は人によって異なるだろうし、他の人がどんな風にこの文章をとらえたのかはぜひ聞いてみたい。

ちなみに私は”完璧な文章”を「自分の主観(感情や思考)が100%伝わる客観的な文章」ととらえて、主観は主観だから客観になり得ない→人は完全に分かり合うことなどできない、と解釈し、”完璧な絶望”については、かといって0%ってわけでもない→人は少しは分かり合える、と解釈した。

文章をかくという作業

「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分を取り巻く事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」

この小説ではデレク・ハートフィールドという仮想の作家があたかも実在するかのように描かれる。主人公の「僕」はデレク・ハートフィールドから文章についての多くのことを学んだと語るが、一方で彼の文章について「文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙であった。」と評価している。

そのハートフィールドが良い文章について述べたのが上の文章だ。

この主張には正直言うと引っかかった。私は文章をかくというのはもっと能動的なコミュニケーションではないかと考えているからだ。周囲の事物との距離を確認するような文章といわれると閉鎖的でコミュニケーションの手段って感じではないよなあ、と感じた。

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ハートフィールドは右手にヒットラー肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び降り自殺した設定

みんな同じさ

でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いのもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる。金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並外れた強さを持った奴なんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持っているやつはいつか失くすんじゃないかと ビクついてるし、何も持ってない奴は永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だからそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。

「そうだね。しかし一晩考えて止めた。世の中にはどうしようもないこともあるんだってね。」という鼠に主人公の僕が言ったのが上のセリフだ。「あんたは本当にそう信じてる?」「嘘だといってくれないか。」と鼠は言ったが、私はこの言葉にむしろ勇気づけられた。

私の通う東京大学日本で一番学生のレベルの差が大きい大学だと思う。非凡な才能があふれるこの大学で、私のような平凡な学生は時々どうしようもない自虐的な感情に苛まれる。だが、私たちがみんな故障した飛行機に乗り合わせたようなものだったら?みんな死とか喪失とかにビクついて、強い振りをしているだけだとしたら?無力感を感じる一方で、彼らにも親近感を抱くことができるかもしれない。彼らは、みんな同じなんだといち早く気づいて、ほんの少しでも強くなるために努力をしているだけなのかもしれない。ならば私だって、、、という気持ちにもなれる気がする。

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ちょっと勉強が得意なだけの凡人と世界クラスの天才が一緒に学ぶ大学

おわりに

このエントリーで抜き出したのはわずか3つの文章ですが、いろいろと考えながら書いたので結局書き始めてから1か月くらいたってようやく投稿します。(本当は忙しくてあんまり真面目に書いてなかったのが理由の大半です。)

村上春樹が好きな作家かと問われると実はそうでもなくて、でも村上春樹が影響を受けたといわれる時代のアメリカ人作家の本とかは結構好きで、フィッツジェラルドとかはもっといろいろ読みたいですね。

ただ、このブログではできるだけ経済学関連の面白い本とかを紹介しつつ、自分の備忘録的に使いたいと考えているので小説のレビュー・感想文は今後もそんなに書くつもりはありません。

拙い文章で知識量の少なさも透けてますが、これからも読んでくださると幸いです。

【解説】『STARTUP:アイデアから利益を生みだす組織マネジメント』のあらすじと書評・感想

今までに紹介した2冊は少々ニッチすぎる内容でしたね。今回は「小説風ビジネス書」ともいうべき本、『STARTUP(スタートアップ):アイデアから利益を生みだす組織マネジメント』のあらすじと書評・感想を書いていきます。スタートアップについての教科書的内容でありながら、小説形式なので、苦悩する起業家に感情移入しながらリーンスタートアップ、アイデアから利益を生み出す組織マネジメントについて学べる良書だと思います。この本を読んだ方は、感想等を教えてください。

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この本について

著者のダイアナ・キャンダーはアメリカのシリアルアントレプレナー(連続起業家)。

本書では起業の方法論としてすでに有名なリーンスタートアップについて、ポーカーの世界大会に出場しているスタートアップ起業家の物語を通じて学ぶことができる。

なお、「リーンスタートアップ」とは最低限の製品やサービスをとりあえず顧客に提供してみて商品が市場に受け入れられるかを確認し、受け入れられないなら改善を繰り返すという手法である。

特にこの本では以下の四つの原則が強調される。

1.スタートアップの目的は顧客を見つけることであって、商品を作ることではない。

2.人は製品やサービスを買うのではなく、問題の解決策を買う。

3.起業家は探偵であり、占い師ではない。

4.成功する起業家はリスクを取るのではなく、運を呼び込む。

 正直、この4つのことについての解説を除けば後は小説パートなので読まなくてもいい気もするのだが、筆者は物語を通じて主人公の失敗を追体験することの必要性を強調しているので、読みましょう。

あらすじ

物語の舞台はラスベガスで行われるポーカーの世界大会WSOP。脱サラして中古自転車販売のスタートアップ「リバイシクル」を立ち上げたオーエンだったが、事業はあえなく失敗。借金を抱え、家族の関係も悪化し、人生は行き止まりにぶち当たったように見えたが、WSOPで女性起業家サムに偶然出会ったことでオーエンは自分の事業の何が間違っていたのかに気づき始める。

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WSOPの最終テーブル

書評・感想

第一部「人はビジョンを買わない」の書評・感想

第一部のタイトルは「人はビジョンを買わない」だが、人は何を買うのか。アマチュア起業家オーエンのメンター的な存在であるサムによると、人は「自分たちの問題を解決してくれるもの」を買うのだという。

つまり、事業がうまくいっていない理由として考えられるのは「存在しない問題の解決策をつくってしまった」、「顧客が問題があると認識していないか、重要とは思っていない」、「商品が顧客の問題を解決できない」のいずれかであるということだ。

起業前、オーエンはロードバイクの価格が高騰していることを問題であると考えていた。その問題を解決すべく、オーエンのスタートアップは高品質な中古自転車のパーツを安値で買い集め、それを組み立てなおし、高品質・低価格のロードバイクをネットで販売するというビジネスモデルを取っていた。

ここで重要なのは、「高価格」という問題が果たして顧客にとって本当に重要な問題なのかということである。ロードバイクの価格高騰が問題であるというのはあくまで仮説であって、仮説は検証されなければならない。続く第二部「仮説で勝負するのは危険」ではこの検証の方法が解説される。

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高すぎぃ

第一部はリーンスタートアップの方法論、すなわち「顧客がいるかどうか見極めるまでは、他に何もすべきでない」ということの解説である。顧客がいるかどうかを見極める前に商品名やロゴ、ウェブサイトのデザインに力を入れたオーエンが「できることは何でもやった」にもかかわらず、うまくいかない様子がリーンスタートアップと対照的に描かれている。

感想としては、「面白いっちゃ面白いけどこれだけのことを言うのにこんなに回りくどくなくてよくないか?」といったところ。小説風ビジネス本なので、小説としての面白さはおまけ程度だし、和訳本特有の言い回しも正直くさい、、、

第二部「仮説で勝負するのは危険」の書評・感想

 第二部では仮説は必ず検証してから実行に移すべきだということを教えられる。この本の中で特に強調されるのはインタビューによる仮説検証の重要性だ。

オーエンは自転車屋に潜り込んで顧客にとって自転車の価格がどれほど重要なのかをインタビューし、自分が思っていたより顧客は価格に鈍感であることに気が付く。また、顧客は試乗できるかどうかを重視しており、ネットで自転車を買うケースがほとんどないことにも気づかされる。

この部では効果的なインタビューの仕方も解説されており、「○○しますか?」という質問は禁忌であることが強調される。このようなイエス・ノーで応えられる質問は往々にして誘導尋問的になってしまい、顧客の正直な気持ちが聞き出せないからだ。

禁忌となる質問はかなり重要なことだと個人的には感じた。世の中には様々なアンケートがあふれていて、YouTubeの広告にさえアンケートが張られていたりするが、中には意図的に「はい」を選ばせようとしているのではないか?と思えてしまうようなものも少なくない。

第三部「正解を知るのは顧客だけ」の書評・感想

第三部でも第二部で語られたインタビューの重要性が再度強調される。また、起業とポーカーを重ね合わせて、運についても語られる。

この部は小説部分が多く、あんまり示唆に富んだ内容ではないのだが、学べるところを強いて挙げるならば「ポーカーでも事業でも運頼みは良い戦略ではない。良い戦略こそが運を呼び込む。」という記述だろうか。

トーナメント終盤までテーブルに残ることができたオーエンは慎重に立ち回り、優位なポジションで強いカードを手にすることができた。相手の手札を見誤り不利な勝負に出てしまうが、奇跡的に勝つことができたのはそれまでの戦略がよかったから、ということだろう。

ここで判断をミスったオーエンを勝たせるのは小説的に面白くするためだけだと思うのでそんなに深く考える必要はなさそうだ。

第四部「仮説を証明し勝負にでる」の書評・感想

最終章である第四部では顧客にインタビューする際のインタビュアーは創業者でなくてはならない(部下にやらせてはいけない)、顧客に行動を起こしてもらうのに必要な時間と資金を最小化しなければならない、などのアドバイスが強調されたのち、オーエンがそれを実行して、顧客が真に解決したいと考えている問題を発見するまでが描かれる。

物語もクライマックスに差し掛かり、最終テーブルを賭けたハイレベルなトーナメントが始まる。(この本のポーカー大会パートはおまけなのでしょうもない。)

この本は小説でありながら、リーンスタートアップの教科書でもあるという特徴を持つ本なのでこのようになってしまうのは仕方がないのだが、物語自体はきれいにまとまっているもののそれほど面白くない、単純にリーンスタートアップを学びたいならもっと詳しい入門書が複数出版されている、といった風に中途半端になってしまっている感が否めない。

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一方で、筆者が強調する失敗を追体験することの重要性に関していえば、このような本は他になく、そういった意味でこの本には独特の価値があるといえるかもしれない。

おわりに

 アマゾンでポチポチしてた時に見つけて、レビューの評価がいいから買ってみた本です。正直、なんでこんな評価高いのだろうか、、、となったのは否めません。小説としても中途半端(単純に面白くない)、教科書としても中途半端(最初にまとめた原則以上のことを学べない)じゃないかなあ。

起業について本で学ぶとか無理なんかね、やっぱ自分でやらないと。

【考察】『The Dark Side of the Moon(狂気)』(Pink Floyd)の解説・和訳(後半・B面)

前回の記事では『The Dark Side of the Moon(狂気)』の(A面)の解説を行いました。A面は人の誕生から死まで、人間の一生を表現していたため、わかりやすかったのですが、B面はもう少し難しくなります。

前半はこちら↓

takaloves.hatenablog.com

そんなB面の解説、頑張っていきます。

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6曲目「Money」の解説・考察

B面は小気味のいいレジの音から始まる。「Money」はその名の通り、「金」がテーマの曲だ。シングルカットされた曲なだけあって、聴きやすく、意味も分かりやすい内容となっている。早速歌詞の解説といこう。

歌いだしの「Money, get away. Get a good job with good pay and you're okay」からいきなり金!給料!以上!という感じで拝金主義全開なのが面白い。その後も俺の金に手をつけるなとかそう言った言葉がどんどん出てくる。

「Money, It’s a crime. Share it fairly but don't take a slice of my pie.」という歌詞は特に自己中心的な思考が全開で私は好きだ。我々は資本主義の世の中にあっても不平等が許せないのか、世の中には金持ち批判や成功者への嫉妬があふれているが、自分のこととなるとその不平等感だって正当化してしまうのだ。

7曲目「Us and Them」の解説・考察

 ふわふわとした美しい曲調のこの曲だが、歌詞に注目すると戦争についての曲であることがわかる。タイトルのUs and Themは戦争の自国側と他国側のことだ。

「It's not what we would choose to do」 や「 And in the end it's only round 'n round」 という歌詞からは戦争の無意味さが読み取れる。

この曲が戦争の曲であるのは間違いないが、より深読みすれば人間の残酷さというより本質的な部分が見えてくる。

「And after all we're only ordinary men」という歌詞は戦争に参加している兵士は敵も味方もただの一般人であるにもかかわらず、集団になればいともたやすく相手を殺すことができるという人間の本性を表していると読み取れるし、「It's not what we would choose to do」という歌詞からは自分で選択したわけではないが、命令されたから人を殺すという思考停止が読み取れる。思考停止で人を殺す一般人はこのブログでも過去に紹介したアイヒマンを彷彿とさせる。

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本ブログ2回目の登場アイヒマン

8曲目「Any Colour You Like」の解説・考察

 私は音楽的センスがないのでインストゥルメンタルの解釈がめちゃくちゃ苦手なのだが、これは「ドラッグ」の曲なのではないかと思う。(何でもかんでもドラッグソング呼ばわりする風潮に乗っかっていくスタイル)

 

「Any colour You Like」という歌詞の意味するところはマジでわからないが、個人的には「自由」かなあと考えている。ドラッグを使う自由というよりかは、トリップしているときにだけ味わえる「解放感」という意味での自由。

うーん、あんましっくりこない。

9曲目「Brain Damage」の解説・考察

この曲はこのアルバムを理解する上で最重要だと思うので丁寧に解説する。

The lunatic is on the grass
The lunatic is on the grass
Remembering games and daisy chains and laughs
Got to keep the loonies on the path

最初の一節では芝生の上にいる「lunatic(狂人)」と歩道にいる「loonies(狂人たち)」が対比されている。「lunatic」は道から外れた芝生の上にいるが、遊びのことや花のことを考えながら一人で幸せで、彼から見れば、道にいる「loonies」こそが頭のおかしい連中なのだ。

続く節はもう少し難しい。

The lunatic is in the hall
The lunatics are in my hall
The paper holds their folded faces to the floor
And every day the paper boy brings more

ここでは「lunatics」と複数形の狂人が登場しており、自分の中の狂人はたくさんいることが明らかになる。「床にたたまれたまま置かれた新聞」というのは世間への無関心・隔絶を暗示し、読みもしない新聞が毎日運ばれてくることからは抑圧された狂気が日々積もっていくことが暗示されている。

サビの歌詞ではついに「the dark side of the moon」という歌詞が出てくる。

And if the dam breaks open many years too soon
And if there is no room upon the hill
And if your head explodes with dark forebodings too
I'll see you on the dark side of the moon

直訳してしまえば「ダムがあまりに早く決壊して、(避難先の)丘の上にスペースがなくて、暗い予感が頭の中で爆発したなら、僕は月の裏側で君に会おう」となるのだが、ダムの決壊が精神の崩壊を、丘の上のスペースが心のよりどころを表しているのはほぼ明らかだろう。3,4行目のyouという二人称は今まで「lunatic」と呼ばれていた存在で間違いがないだろう。

精神が崩壊して、心のよりどころもなく、将来に絶望したときに、人は陽の当たらないところで狂人の仲間となる。

二番の解釈は海外サイトとかでもめちゃくちゃ分かれていたので私の個人的な解釈を述べたい。

The lunatic is in my head
The lunatic is in my head
You raise the blade, you make the change
You re-arrange me 'til I'm sane
You lock the door
And throw away the key
There's someone in my head but it's not me

最初の2行の直訳は「狂人が僕の頭の中にいる」であり、芝生(外)、ホール(室内)から頭の中にまで、「狂人」がより自分の近くに来ていることがわかる。3,4行目はロボトミー手術を暗示しているのだろう。だが、僕が「正気」に戻るまで脳を再構築しようとしている主体(you)は誰だろうか。

youが医者だという解釈もあるが、私は「頭の中の狂人」が主体(you)で、彼にとっての「正気」にしようとしていると考える。そして、僕を「正気」にした狂人は扉に鍵をかけてその鍵を捨ててしまうことで、社会との繋がりを断ってしまう。最後の行はこの頭の中の狂人は自分ではないのでコントロールできないことを表していると思う。

And if the cloud bursts, thunder in your ear
You shout and no one seems to hear
And if the band you're in starts playing different tunes
I'll see you on the dark side of the moon

最後の節のyouは明らかに今までのIだろう。リスナーの視点は僕から狂人に移っているのだ。耳の中で雷が鳴り響くようなストレスが彼を襲い、彼は助けを求めるがその声は誰にも届かない。

3行目の「お前のバンドが違う曲を演奏し始めたなら」が意味するところはよく分からにかもしれないが、ここには明らかにピンクフロイドを脱退したシド・バレットに対する罪悪感が現れている。

この曲はストレスや孤独がbrain damageを与え、人を狂人に変えてしまうプロセスを表現した曲といえるだろう。

10曲目「Eclipse」の解説・考察

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eclipse」は「日食」を意味する

この曲の解釈で注目すべきは

And everything under the sun is in tune
But the sun is eclipsed by the moon

の部分だろう。

自分が触れたり見たりするすべてのものやすべての人は、太陽の下で調和する。だが、調和をもたらす太陽は月(狂気)によって隠されてしまう。

この曲は一曲目の「speak to me」と同じ心臓の音を思わせるバスドラムのフェードアウトで終わる。このアルバム自体が人間の一生と狂気を表現したものであるのがここからも読み取れる。

おわりに

A面は人の一生をコンセプトにしていることが簡単に読み取れるのに対して、B面は「money」や「Us and Them」といった社会批判、インストゥルメンタルの「Any Colour You Like」、人間の狂気を描いた「Brain Damage」と「Eclipse」が詰め込まれていて難しいですね。

 

一曲一曲もっと詳しく解説できたらいいのですが、能力的に無理です、、、

 

大学で中国の民間企業のゼミを新規開設することに成功したのでそれ関係の本とかを今度は上げます。

【考察】『The Dark Side of the Moon(狂気)』(Pink Floyd)の解説・和訳(前半・A面)

今回は本ではなく好きなアルバムをちょくちょく和訳しながら、解説と感想を書いていこうと思います。紹介するアルバムはPink Floyd(ピンク・フロイド)の代表作『The Dark Side of the Moon(狂気)』。音楽好きでなくとも三角形のプリズムと虹のアルバムアートワークは見たことがありますよね。

あまりにも長くなってしまったのでA面とB面についてそれぞれ別の記事にしています。また、解釈もそのほうがしやすいです。

このアルバムのアートワークなら見たことがあるという人が多い一方で、このアルバムの中身を聴いたことがある人となると、その数がぐんと減ってしまうのが悲しいところです。

今回はそんな『The Dark Side of the Moon(狂気)』の解説と僕なりの感想や解釈を書いていこうと思います。

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このアルバムについて

まずはこのアルバムの基本的な情報についてここにまとめていこう。発表は1973年3月1日、録音はビートルズの『アビーロード』で有名なアビーロードスタジオで1972年の6月から1973年の1月まで行われた。アルバムの長さは43分ほどと少々短めだが、アルバムに収録されている曲すべてが連なって一つのメッセージを持つ、いわゆるコンセプト・アルバムである。

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この横断歩道の左側にあるのがアビーロードスタジオ

近年はストリーミングサービスの普及によって楽曲が以前にもまして切り売りされ、このようなコンセプトアルバムは減ってきたが(というか、ほとんど日の目を浴びないが)、1967年にビートルズが世界初のコンセプト・アルバムといわれるサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドをリリースして以来、ザ・フー『トミー』やクイーンの『A Night at the Operaオペラ座の夜)』など数々のコンセプト・アルバムが成功を収めた。

そして、それらのコンセプト・アルバムの中でも最高傑作と名高いのがピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon(狂気)』なのである。

ちなみに、このアルバムはピンク・フロイドの人気を決定づけたアルバムであるが実はバンドにとって8作目となるアルバムであり、ファンの中で人気の高い『Atom Heart Mother(原子心母)』や『Meddle(おせっかい)』よりも後のアルバムである。

特に、ピンク・フロイドのような時期によって音楽性が大きく変わるバンドは、アルバムの雰囲気がリリースの時期によって大きく違い、そこを楽しむこともできる。また、バンドの歴史が彼らの音楽性にどんな影響を与えたのか(ピンク・フロイドではシド・バレットという天才的なセンスを持ったリーダーが精神を病んで脱退している)を考察するのも面白い。

しかし、今回はあえて『The Dark Side of the Moon(狂気)』というアルバム1枚から読み取れることのみを解説・考察していきたいと思う。芸術作品に触れる時に作品以外の余計な情報に私の感受性を奪われたくない、というのは私のちょっとしたこだわりなのだ。そのため今回は1968年のシドの脱退がバンドに与えたテーマ性などはあえて考察しない。

タイトルとコンセプトについて

コンセプト・アルバムであるこの作品を語るうえで『The Dark Side of the Moon(狂気)』というタイトルの意味を考えない訳にはいかない。『The Dark Side of the Moon』は直訳すれば、「月の暗い面」とでもなるだろうか。月は自転周期と公転周期が一致しているため、地球にいつも同じ面を向けている。月の裏側の様子が分かったのはソ連の月探査機が撮影に成功した1959年になってからだ。

このアルバムのタイトルは、地球から見えないこの部分のことを「The Dark Side of the Moon」というちょっと不思議な呼び方をしている。

邦題が「狂気」なのに違和感を感じる人もいるかもしれないが、欧米で「月」とは「lunatic(狂気)」の象徴だ。このアルバム全体のコンセプトはまさに「狂気」なのだ。

アルバムアートワークの考察

早速1曲目の解説をしたいところだが、アルバムアートワークが極めて有名なこのアルバムを語るうえではアルバムアートワークの意味も無視することはできまい。

注意したいのはこのアルバムアートワークを製作したのはピンク・フロイドのメンバーではなく、Hipgnosisヒプノシスというデザイナー集団であるということだ。ヒプノシスLed Zeppelinをはじめ、様々なロックバンドのアルバムアートワークを作成しているのでぜひ見てみてほしい。

アルバムアートワークを作ったのがバンドのメンバーではないとはいえ、ピンクフロイドのメンバーもこのアルバムアートワークを即採用したというからこのアルバムのアートワークは『The Dark Side of the Moon(狂気)』の顔としてふさわしいと認められたのだろう。

真っ黒な背景、白色光、プリズム、虹。このアートワークが意味することについてピンクフロイドのメンバーは説明していない。

解釈は人それぞれだが、『the dark side of the moon』の楽曲の静かな美しさや多彩な表現を表したいいアートワークであると思う。このアルバムでは「光(あるいは太陽)」と「闇(あるいは月)」が対照的な存在として歌われているが、このアルバムアートワークも真っ黒な背景とまばゆい虹が対照的に描かれているのにも注目したい。

1曲目「Speak to Me」の解説・考察

心臓の鼓動を表現したドラムのフェードインで始まり、男のささやく声、タイプライターの音などがどんどん入ってくる具体音楽である。この曲に限らず、このアルバムにはこのような日常の音が多く入っている。

男のささやきは聞き取りにくいがよく聞くと「俺は長い間狂っている」とか「人がなぜ狂っているのか説明するのは難しい」とか言っている。

私はこの鼓動は人生の始まり、空虚の始まりを表し、独り言やタイプライター、紙を破る音などは人生の空虚を埋めるくだらないものを表現していると解釈している。「Speak to Me」というタイトルは、くだらないものではなく人間との関わりを求める叫びだろうか。

2曲目「Breathe (in the Air)」の解説・考察

この曲は1曲目の「Speak to Me」とつながっているため、普通に聞いていると2つで1つの曲に思えるかもしれない。ふわふわとした前奏が美しいこの曲は幼少期の生き方を説く曲といえるだろう。

歌詞の解説に移ろう。歌いだしの「Breath, breathe in the air」はおそらく、今を生きろ、という意味だろう。続く「Don't be afraid to care」は他人に共感・共存しろ、という意味だ。今を生き、他人に共感する在り方が人間にふさわしいピンクフロイドは説いているのだ。

「For long you live and high you fly. And smiles you'll give and tears you'll cry. And all your touch and all you see. Is all your life will ever be.」は幼少期におけるあらゆる人生経験の重要性を説いている。

2番は歌詞の雰囲気が大きく変わる。冒頭の「Run, rabbit run. Dig that hole, forget the sun.」は話しかける対象がウサギに代わっている。穴を掘って太陽を忘れろというのも共感・共存を促す1番の歌詞とは大きく異なる。

続く、「And when at last the work is done. Don't sit down, it's time to dig another one」もいろいろな体験が人生を作るのだという1番の歌詞とは打って変わって、退屈な仕事を延々と続けるように指示している。

この曲は人間としての知的で理想的な人生とウサギと大差のない平凡で無駄な人生を対比する曲なのだ。

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馬鹿にされるうさぎちゃん

3曲目「On the Run」の解説・考察

 「On the Run」は不安をあおるようなシンセサイザーの曲だ。途中で入る女性の声は空港のアナウンスで「パスポートをご準備ください」といっている。最後のエンジン音は飛行機、爆発音は飛行機事故を表しているのだろうか。

この曲の解釈はそう難しくないだろう。高い文明力の象徴ともいうべき飛行機の事故が現代社会を覆う不安や危険を表している。

続く「Time」が青年期の人生についての曲であることからも、幼年期(Breathe)から青年期へ移るときの不安や逃げ出したいという思いを表しているのかもしれない。

4曲目「Time」の解説・考察

 突然大音量の目覚まし時計で始まるこの曲に意味するところは明白だろう。この曲は日々を漠然と生き、時間を無駄にしてしまった人間の後悔の歌だ。

「Waiting for someone or something to show you the way.」という歌詞からは自分では何も決められず、自分の道を示してくれる何かや誰かがいると思って何もしない様子が浮かび上がってくる。現代でいうところのニートはまだ名前を与えられていなかっただけで、この時代でも社会問題だったのだろう。

「And then one day you find ten years have got behind you. No one told you when to run, you missed the starting gun.」も印象的な歌詞だ。人はある日、自分が老いぼれたことに気づく。スタートの合図を聞き逃した、と言ってももう遅い。

「So you run and you run to catch up with the sun but it's sinking.」という歌詞が表すように、時間を巻き戻そうとするかのように太陽に向かって走っても太陽は沈んでしまう。そして、死が刻一刻と迫ってて、自分は人生で何もできなかったと絶望するのだ。

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人生というレースもう始まってますよ (by Pink Floyd)

5曲目「The Great Gig in the Sky」の解説・考察

このアルバムのA面を締めくくるのは、ソウルフルなシャウトが印象的なこの曲だ。この時代のアルバムを聴くときにはどこまでがA面で、どこからがB面なのかを意識しなければならない。別のアルバムの話になるが、レッド・ツェッペリンのアルバム「Led Zeppelin IV」収録の「Stairway to Heaven(天国の階段)」がどうして4曲目という中途半端な位置なのかがわからなかったのだが、A面の最後の曲であると聞いて納得したものだ。

では、歌詞の解説に移ろう。

この曲の歌詞はとても短くわかりやすい。「And I am not frightened of dying. Any time will do, I don't mind. Why should I be frightened of dying? There's no reason for it, you've gotta go sometime.」は死はいつか訪れるものであり、恐れるようなものではない、という主張だが、ソウルフルなシャウトからは死の痛みや恐怖のようなものも読み取れるように思う。

誕生を表すような心臓の鼓動から始まったA面はこの死の曲で終わる。A面は1,2曲目が誕生を、3曲目が人生という旅の始まりと不安を、4曲目が結局時間を浪費しただけの人生を、5曲目が死を意味している。

A面のコンセプトは人の一生だ。

おわりに

文章だけを読めばいい本の解説と違って、コンセプトアルバムの解説には歌詞だけでなく、アルバムアートワーク、曲のテンポや使われている音など様々な要素を総合的に解釈しなければならないので難しかったです。

後半はこちら↓

takaloves.hatenablog.com

【解説】『Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) 』(アルビン・E・ロス)のあらすじと書評・感想

2冊目もゲーム理論がテーマの経済学書前回の記事で紹介した書籍の最後の章で触れられていたマーケットデザインによりフォーカスした書籍となっています。ちなみに、日本語版の発売は2016年3月だったのですが、2018年9月に文庫版が出たのでそちらを買いました。経済学書って超有名な本でも文庫化されないことがざらにあるのでこういうのはありがたいですね。この本を読んだ方はぜひ感想やおすすめの本を教えてください。

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この本について

『Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) 』は、2012年にノーベル経済学賞を受賞したアルビン・E・ロス教授によるマッチングやマーケットメイキング(マーケットデザイン)の手引き書。需要と供給の均衡によって価格が決まるようなコモディティ(小麦のように一般化しているもの)と違って、お金が介在することができないもの(進学先、腎臓移植など)やお金がすべてではないもの(恋愛、就活など)のマッチングには一筋縄ではいかない問題がある。本書は筆者がゲーム理論を武器にそれらの実社会の難問に挑む。

本書のタイトル『Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) 』を直訳すれば「誰が何を手にするのか」、マーケットデザインとは何かを端的に表す問いであるといえる。

あらすじ

本書は4部仕立てとなっており、第一部では「市場」とはそもそも何なのか、本書のテーマである「マッチング」とは何なのかといった基本的なことの説明がなされる。経済学を勉強した人にとっては少々退屈なところかもしれない。

第二部はマッチング市場における「市場の失敗」が起こるメカニズムが事例を紹介しながら説明される。アメリカの市場の話題が多いものの、私たち日本人にとってもなんとなくわかる例が多いことから、同様の問題が日本でも起こっていることがわかる。

第三部は筆者がノーベル経済学賞を受賞するきっかけとなった「受け入れ保留メカニズム」などのメカニズムデザインによって第二部で見たような市場の失敗をいかにして解決したのかが語られる。

第四部では腎臓売買や麻薬取引などの禁止された市場がもたらす影響を説明しながら、果たして容易に市場を禁止するのが良いことなのかを読者に問いかけるような内容となっている。

書評・感想

第一部「市場はどこにでもある」の書評・感想

第一部ではまず前半で本書のテーマとなる専門用語が実例を交えながら解説され、後半で筆者の最大の功績の一つであるニューイングランド腎臓交換プログラム(NEPKE)のメカニズムや実例についての紹介がなされる。全体的に言えることだが、少しでも経済額を勉強したことがある人からしたらごく当たり前のことをやや冗長な例を用いて説明しているため、ところどころ退屈に感じてしまうかもしれない。

前半部分で解説される専門用語の中でも最も重要なのは「マッチング市場」であろう。マッチング市場とは、「誰が何を手に入れるのか」が価格によってのみ決定するコモディティ市場(小麦、鉄、有価証券など)とは対照的に、価格以外な何らかの要素によって双方が相手を探さなければならないような市場のことだ。

なお、コモディティ市場とマッチング市場の境界は曖昧である。例えばレストランは買い手を選ばないのに対して、私たちはレストランを選ぶことができる。

ところで、いま熱いマッチング市場といえばTinderやpairsのような、いわゆる出会い系アプリである(残念ながら恋愛において金銭は大きな影響力をもっているが)。かつて出会い系といえばネットのアンダーグラウンドな香りがプンプンする怪しいサイトというイメージだったが、いまやそこらじゅうの人が気軽に利用できるようになってきている。これも適度な匿名性やいいね数(好みの相手にアピールできる数のこと)の制限といったマーケットデザインの賜物なのだろう。

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私も使ってました、、、

後半の章はニューイングランド腎臓交換プログラム(NEPKE)についての章だ。まず腎臓交換プログラムのメカニズムを軽く解説しよう。腎臓の移植を行う必要があるとき、多くの場合は患者の親族や友人が片方の腎臓を提供してくれるのだが、これが患者の免疫と一致しないケースが多々発生してしまう。ならば、ドナーが誰か別の患者に腎臓を提供する代わりに、患者に適応する腎臓をもらおう、というのがこのプログラムだ。この取り組みは最初お互いに適応する腎臓を持った2組間の腎臓交換から3組以上のサークルへと発展し、ついには患者を持たない利他的なドナーや死亡ドナーの腎臓をはじめとするチェーンに発展した。

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利他的ドナーを視点とした腎臓交換チェーンのイメージ図

このチェーンの画期的なところは図に記した数字の順番で手術を行うことができるというところである。今までの単純な交換やサークルでは手術は同時が絶対条件だった。というのも、もしも3組間のサークル交換を別日程で行って、ある1組のドナーが腎臓を受け取ったあとで腎臓の提供を拒否したとき(急病になるようなケースも考えられる)、あるペアはドナーが腎臓を他の患者に提供したにもかかわらず、患者は腎臓を受け取れないという事態に陥ってしまうからだ。

チェーンの場合、たとえあるペアが腎臓を受け取ったにもかかわらず腎臓を提供しない場合でも、腎臓を提供したのに腎臓を得られないという絶望的な状態になる患者を作らないで済む。もちろんそれぞれのドナーには腎臓を提供しないインセンティブが存在するのだが筆者によるとそういった例はほとんど起こらないらしい。

ここからは私の感想だが、この章で重要なのは腎臓を提供しないインセンティブが存在するにも関わらず大多数のドナーが腎臓を提供するという事実であると思う。また、腎臓交換のチェーンが利他的なドナー(患者の決まっていないドナー)の存在によって実現されている点も同様に重要だとおもう。

いまも多くの人間の命を救っているNEPKEを設計したのは筆者をはじめとした経済学者たちだが、この仕組みを支えているのは多くの人間の善意である点は決して無視できない

ちなみに、第一部のタイトル「市場はどこにでもある」というのは私たちの生活のあらゆるものが何らかの市場取引によってもたらされており、私たちは日常のあらゆる場面で市場に触れているという意味である。

第二部「挫かれた欲求―市場はいかにして失敗するか」の書評・感想

第二部はタイトルの通り、市場がいかにして失敗するか、つまり、不適切にデザインされた市場でプレイヤーたちはどのような意思決定を行い、どのような不利益をこうむりうるのかが解説される。

市場が失敗する理由ごとに抜け駆け、速すぎる取引、混雑、高すぎるリスクの4章があるがそれぞれの章では問題が提示されるのみで解決策(マーケットデザイン)は次の第三部で説明される形となってるのだが、問題を網羅的に理解できる一方で、解決策が提示されないまま宙ぶらりんになってしまうのが歯がゆいかもしれない。

ところで、あなたは就活をいつ終えただろうか。私は2020年に大学を卒業する予定だが、2018年に就活を終えた。外資系の投資銀行コンサルティングファームに行く人もおそらくは卒業する1年以上前に内定をもらっていただろう。

経団連と関係のないベンチャー企業外資系の企業はこのように他の企業が採用活動を始める前に「抜け駆け」して、優秀な学生を囲い込もうとする。また、経団連に加盟している企業もサマーインターンやウィンターインターンを通じて実質的な選考を行って早期に優秀な学生にコンタクトしようと努めている。

こうした結果、日本の就職活動は年々早期化しているのだが、筆者はこのような参加者が抜け駆けをすることで起こる、止まらない早期化を暴走と呼び、マーケットデザインによってこの暴走を止めようとする。(筆者が直接関わったのは研修医の就職市場)

ここで面白かったのは、最も早くに抜け駆けをするのは最も人気な企業でも、最も不人気な企業でもなく、ほぼ最も人気な企業であるという点だ。

最も人気な企業は抜け駆けをしなくとも優秀な学生を確保できるし、不人気な企業は早期に内定を出したところで学生に内定を蹴られてしまうことが予想できる。ただ、ほぼ最も人気な企業ならば、期限付きのオファーを出すことで最も優秀な学生を獲得できるかもしれない。このようにしてほぼ最も人気な企業が抜け駆けをすると最も人気な企業の採用を早期化せねばならず、早期化は止まらなくなる。

では、この暴走の何が悪いのかというと企業は採用の早期化のよって学生が思ったより優秀でないリスクを負うし、学生は本当ならもっと良い企業に行けたかもしれないのにそこそこの企業で妥協してしまうリスクを負う。リーマンショックの時は内定を取り消された学生もいるというから暴走はやはり止めたほうが良いのだろう。

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個人的に採用時期はどうでもいいが、就活カバンが当たり前の風潮はマジでやめてほしい。就活以外でこれを使う機会はあるのか?


第三部「市場をよりスマートにし、より厚みをもたせ、より速くするためのデザインの発明」の書評・感想

第三部は第二部で紹介された問題がいかにして(どんなマーケットデザインで)解決されたのかが解説される。筆者がノーベル経済学賞を受賞するに至った研究についての説明もされるので本書『Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) 』で最重要の部分といえるだろう。

先ほどの研修医の就職市場は病院と研修医、双方から希望順位を集めるクリアリングハウスを設け、そのクリアリングハウスを通じてマッチングを行うことで最も望ましい組み合わせを実現するという方法で解決される。(これは学生がオファーの受け入れを保留する形で実現する「受け入れ保留方式」といわれるメカニズムが応用されており、筆者と共同でノーベル経済学賞を受賞したロイド・シャープレーとデイヴィッド・ゲールが安定なマッチングを実現する方法として発見したのだが、細かい説明は省略。)

この章の感想としては、研修医の就職市場を解決するのには確かにこの仕組みを利用することができる反面、他の市場に応用することが難しそうなのが残念だった。

例えば日本の就職市場では、総数が多すぎるうえ、企業・学生双方の水平差別化が進んでいるため絶対に応用できない。もちろん筆者もこんなことはわかっており、市場の特徴に応じてマーケットをデザインする必要性を述べている。

ゲーム理論はアート』では既存の社会の仕組みをモデル化する際の創造性がしばしば重視されていたが、このように、適切な市場をデザインするのも同様に創造的でアートであろうと感じた。

混沌とした日本の新卒就職市場はいかなるマーケットデザインによって解決されるだろうか。残念ながら、私にはわからない、、、

 

第四部「禁じられた市場と自由市場」の書評・感想

第四部はゲーム理論を応用して解決できそうな問題の見つけ方の部といえるかもしれない。

禁じられた市場というのは腎臓売買や麻薬取引、禁酒法のもとでの酒類市場などのように法律で禁止されている市場のことで、筆者はそれらを例に挙げながら、目的の達成のためには市場を禁止するという短絡的な施策よりも、行動を誘導したり、代替物を提供するほうが効果的なこともあると主張している。

第四部の感想は正直言うと、あまり面白くなかった。禁じられた市場と、その原因となる不快感についての話が長々と続くのだが、あまり得るものが多い部とは言えない。

第四部に限らず、この本全体に言えることだが内容が冗長で面白くないところが多いように思う。マーケットデザインの重要性は伝わるが、もう少し余分なところを削ってほしいというのが正直なところだ。

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全体的に長い。

おわりに

『Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) 』は翻訳本であるということもあって、やや読みにくく、分量がそれほど多くないにもかかわらず読むのに時間がかかってしまいました。二回連続で経済学書、しかもマーケットデザインの本にしたのはちょうど興味が高まっていたからで、これからは小説の感想文とかも書いていきます。

地味に前の記事はPVがそこそこあってうれしかったです。これに懲りずに見てくれる人がいたらうれしいです。

【解説】『ゲーム理論はアート---社会のしくみを思いつくための繊細な哲学』(松島斉)のあらすじと書評・感想

記念すべき第一冊は松島教授の名著。これからもいろいろ書いていきたいけど、更新は不定期です。もしこのブログで紹介した本を読んだらあなたの感想を聞かせてください。おすすめの本も教えてください。

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この本について

東大経済学部でゲーム理論を教えている松島先生のゲーム理論超入門書。

教科書というよりもモデルづくりの面白さや現実の事象をゲーム理論を用いて理解していく方法について学びながら松島先生の考え方に触れることができるエッセイという感じ。

ちなみに、本書タイトルの「ゲーム理論はアート」というのはゲーム理論を用いて、社会の仕組みを明らかにできるモデルをどんどん作りだしていく「創造性」が芸術的であるという意味である。

あらすじ

本書は三部仕立てで、まず松島先生がいかにしてゲーム理論に人生を賭けるようになったかがエッセイ風につづられたのち、PK戦や貧困国への資金援助、ナチスのような全体主義といった我々もなんとなくわかる事象をゲーム理論ではどのように理解するかが解説される。

次に、イノベーションやオークション、日本のタブー(腎交換、放射線汚染、人工中絶)といった現在の日本を語るうえで欠かせない応用的なテーマについて、前章で学んだ考え方を利用しながら理解を進めてゆく。

最後は「制度の経済学」(社会の制度に注目する経済学)における重要テーマである「情報の非対称性」や「証券取引ルール」について、マグロのセリや株の高頻度取引といった実例を交えながら解説される。

書評・感想

 キャッチ―なタイトルとかわいい表紙絵ですでにかなり有名な本書。前々から読みたいと思っていたのでようやく読めてよかった。

ゲーム理論にまったく触れたことのない人でもわかるように書かれているため、言葉も比較的簡単で読みやすいし、難しい数学も出てこない。一方で、一応ゲーム理論を勉強したことがある私が読んでも大変学びが多かった。内容はかなり濃いので、むしろ軽くゲーム理論に触れたことがある人の方が読んでいて楽しいかな?といった感じ。経済学部に在籍しているのに経済学に興味が一切なく、授業をさぼりまくっているあなたにおすすめの一冊。

第一部「アートとしてのゲーム理論」の感想

ゲーム理論についての理解が浅い読者は本書を見たらまず「ゲーム理論がアート?また東大の先生が訳のわからないことを…」と思ってしまうだろう。私もその一人だ。

ゲーム理論がなぜアートといえるのか、松島先生は本書のはじめにでこう語っている。

ゲーム理論の真骨頂は、社会のしくみを白日の下にさらすような、新しいモデルのアイデアを次々と思いつく、その「創造性(imagination, creativity)」にある。私は、この創造性ゆえ、ゲーム理論をアートとみなすのだ。

出典元:『ゲーム理論はアート---社会のしくみを思いつくための繊細な哲学』(松島斉)

「なるほど、わかるようなわからないような…アートってなんだっけ…」そんな私の感想を予想してか、松島先生は本書の第一章で先生の考えるアートについて、先生の小学生時代のアートとの出会いから説明してくれていた。

松島先生とアートの出会いは小学校のころに見たロバート・ラウシェンバーグの作品「モノグラム」だという。

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ロバート・ラウシェンバーグモノグラム

 

松島先生によるとモノグラムに使用されているタイヤとヤギのはく製はともに役目を終えており、結果、商品価値の関係から解放され、様々な日常のイメージを引き出させている。モノグラムは商品価値という関係性で見えなくなっている社会的関係の本質を我々に気づかせようとしているとのことだ。

ここからは僕の感想だが、はく製にされたヤギが人工物であるタイヤにとらえられ、まだら模様のキャンバスに立たされている。ヤギの顔には様々な色のペンキが塗られていて、元のヤギがどんな表情なのかを知ることは容易ではない。この作品は環境汚染や公害といった形で人間による文明の発達の犠牲となってきた自然の無力を私たちに気づかせようとしている気がする。(短絡的だろうか…美術は得意科目ではなかった…)

さて、私の「モノグラム」に対する感想はどうでもいい。つまり、松島先生は芸術を社会関係に位置づけてとらえようとしている。20世紀以降の現代アートが資本主義や全体主義、監視社会といった社会的関係に触発されて、その関係性を作品という形で明らかにしていることを重視している。

であるならば、先生の言う「ゲーム理論はアート」というのはゲーム理論のモデルがこれらの芸術作品と同じように社会的関係性を明らかにしているということ、しかもそれらはデータに現れる規則性から帰納的に導かれるものではなく、既存のモデルでは説明できない社会的関係を説明するために創造的に思いつかれるものであるということだろう。うーん、私の理解はあっているだろうか…

本書のタイトル「ゲーム理論はアート」の意味を理解したところで、次はゲーム理論についての基礎が説明される。私は一応ゲーム理論をサラッと学習しているので「懐かしいなぁ」とか思いながらペラペラと読み進めていった。

第一部で次に重要なのは内生的選好についての説明だろう。

内生的選好というのは、もともとの決まっている判断基準でなく、出来事に対する自分の感情とかで内生的に決まる判断基準だ。(クッソ適当ですいません。)本書では例として、自分が1000円もらえるけど他人が9000円もらえるのと、どっちも0円なのではどっちを選ぶかなどが例として挙がっている。

内生的選好の中でも先生が重視しているのは従順と同調だ。従順の例としては部下が上司に気に入られるために、したくないこと(コストがかかること)をするかどうかというケースが例として挙げられている。部下の従順さが強ければ、「上司は私がこれをすることを期待しているだろう」と考え、そんな上司の心中を忖度して、したくない(コストがかかる)ことをするのだ。同調の例では個々にもう一人の部下が登場する。部下は、「もう一人の部下はきっと上司に気に入られるために、やりたくないことをやるだろうな。」と予測し、それに同調してしたくないことをする。

先生はこの従順と同調の重要性(あるいは危険性)についてしつこいくらいに語っている。使われている例はナチスドイツで膨大な膨大な数のユダヤ人を虐殺した張本人として知られるアドルフ・アイヒマンだ。

アイヒマンのストーリーはあまりにも有名なのでここで説明するまでもないかもしれないが、一応説明しておこう。

第二次世界大戦後、アイヒマンエルサレムユダヤ人大量虐殺の罪に問われる。多くの人はアイヒマンを残酷な殺人鬼のように考えていたが、実はアイヒマンは従順で同調しやすいただの平凡な役人に過ぎないことが裁判を傍聴したハンナ・アーレントによって見抜かれる。

実はアイヒマンはもともとナチスユダヤ人迫害に疑問を覚えていたという。だが、1942年のヴァンゼー会議で出席者全員がユダヤ人迫害に賛成している様を見て、同調以外の感情をすっかり、捨ててしまったのだ。

アイヒマンのように、自分の中で葛藤することがあっても、他者に同調することでその感情を消し去ってしまう人は少なくない。であるならば、意思決定のプロセスを操作することで従順と同調の感情を意図的に利用し、全体主義やそれに類似した組織は容易にデザインすることができる。

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平凡な男、アイヒマン

松島先生はゲーム理論を用いてこのような全体主義がいかにしてデザインされるか、そのような事態はいかにして避けられるかを本書で解説しているがそれをこのブログで書いてしまうのは松島先生に失礼だ。買って読もう。

全体主義とそれを支える従順と同調に関する章を読んで私はこのメカニズムを利用するのは何もネガティブなばかりではないと感じた。従順と同調を利用することで犯罪者でさえも犯罪を犯さないような社会をデザインできるかもしれない。普段は授業に出席しない奴だって、自分以外の学生が出席するなら授業に出るだろうし、みんなが自分の考えを発表するような場所においては普段前に立たないような人だって自分の意見を表に出せるだろう。そんな環境ではきっとクリエイティブな意見が飛び出し、私はより多くを学べることだろう。

そういった意味でこの章はとても夢にあふれているし、松島先生が理論武装させてくれたおかげでこの私の期待は実現可能なように思える。この本で一番面白かったのはこの章だ。

第二部「日本のくらしをあばく」の感想

第一部の感想は少々楽観的だったが、第二部はとても悲観的な内容だったといわざるを得ない。先生はイノベーション(パテント)やオークション、幸福といった社会のテーマをゲーム理論を用いて明らかにする。そこで見えてくるのは他の国に比べて成熟しているとは言えない日本社会のありさだった。

全てについての感想を述べては量が多いのでここではオークションの章について、そのあらすじと私の感想を述べよう。

オークションの方法には様々なものがあるが、わかりやすいのはヤフオクでもおなじみのせり上げ方式のオークションだろうか。ゲーム理論の成果として、本書ではヴィックリー・オークション、あるいは2位価格封印入札が挙げられている。この方式では一番高い値段を表明した人が、表明された中で2番目に高い値段を支払って購入する。この時、オークション参加者は買うために無理に大袈裟な値段を言ったり、支払いをケチろうと過小な値段を言ったりしても本人の得にはならない。正直に自分が欲しいと思う分の値段をいうことが最適となる。こうすることで最も商品を欲している人の下に商品が行くこととなる。(ミクロ経済学をやった人は余剰が最大化されるといえばピンとくるだろう。)

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こういうかっこいいオークションで何かを落札してみたいものだ

このように、オークションが素晴らしい可能性を秘めていることは分かったが、オークションが日本で活用されているかというと、あまりそうとは言えない。それどころか、日本は携帯電話の周波数利用免許にオークションを利用していない唯一のOECD加盟国だという。

ここからは私の感想だが、オークションに限らず、日本のだめな制度というのは本当に枚挙にいとまがない。特に役所が絡んでくるとそれはそれは非効率的で、我々市民を最高にイラつかせてくれる。

日本の社会制度がダメなのは官僚がいけないからだとかいう話をよく聞く。本当にそうなのだろうか。私の友人にもこの春から官僚になる人が少なからずいるが、彼らはみんな優秀だし、日本をよくしようという使命に燃えている。だから日本の社会制度がダメな理由が官僚だとは思えないし、官僚を何となくのイメージで批判している人を見ると私は嫌な気持ちになる。

では、日本の社会制度はなぜダメなのだろうか。私には私なりの考えがあるのだが、その考えに明確な根拠はないし、このブログの趣旨からいささか脱線しすぎているのでここで触れるのはやめておこう。

第三部「制度の経済学」を問いただすの感想

この部では経済の仕組みを支える制度を明らかにしたり、制度をどうデザインすべきかについて書かれている。今までの部と比較しても実用性が高いような印象を覚えるし、今までの部よりも難解なところが多かったように感じる。証券取引ルールや情報の非対称性についての説明も面白いのだが、最後のマーケットデザインに関する章は中でも多くの人が興味を持ちそうなので、ここを掘り下げて感想を書いていこうと思う。ちなみに、マーケットデザインというのは市場の失敗を克服するためにいちから市場を設計していくこと、くらいの理解でよいだろう。(私が個人的に興味がある分野なので、今度関連書籍の記事も書きたい。)

本書では先生が実際に厚生労働省の下部組織から依頼を受けて挑んだ難問、インフルエンザワクチンの効率的な分配の例を使いながらいかにしてマーケットをデザインしていくのかが綴られている。(詳細を語ってしまうのは興ざめだから書かないが、本書ではある解決法が提示される。その解決法には2つのナッシュ均衡があって、片方はみんながあるシステムを利用し、みんなに効率よくワクチンを接種できる一方で、もう片方のナッシュ均衡ではだれもそのシステムを利用せず、だれもワクチンを接種できない。どちらになるかは実際にやってみないとわからない。)

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銀のトレイに置かれた注射器は見るだけで嫌な気持ちになる

また、本書ではマーケットデザイン、メカニズムデザインの好例としてUBERを挙げている。運転手と乗客の相互評価制度やテクノロジーの発達が可能にした運転の監視などによって、UBERは運転手と乗客双方の協調のインセンティブを引き出し、ガバナンスを維持している。現在の日本のタクシーにみられる許可制とは対極のメカニズムだ。

ここからは私の本章についての感想を書いていく。まず、ワクチンの分配の話だが、これは非効率な現状をいかにすれば効率化できるかについて、実際のケースに基づいて考えられていたためとても臨場感があった。読み物として面白いし、先生の熱意も伝わってくる。

UBERについては記述が少なめで、アメリカ留学中にUBERを使い倒し、UBERの大ファンとなった私としては少し寂しかった。だが、先生もUBERのマーケットデザインのパワーを認めており、このような仕組みづくりが今後の日本の成功のカギとなることを強調していた。

私の個人的な意見だが、日本では特にヘルスケア業界でマーケットをいちから設計しなおすようなサービスが求められていると感じる。というのも、治療を必要としている患者に適切な対応や治療が施されないケースが多すぎるからだ。治療費をオークション制にするべきだとまではいわないが、医療と患者の効率的なマッチングが行われなくてはすでにパンクしかけの日本の医療は崩壊してしまう。この現状を指をくわえて見ているだけでは医療を支える医師や看護師といった医療関係者に申し訳ない。

私をよく知る人は私の言わんとすることがわかるだろうが、要するに効率的なマーケットデザインはいびつな形の人口ピラミッドを形成している日本にとってなくてはならないものということだ。

おわりに

次回はよりマーケットデザインに特化した本、『Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) 』の書評・感想を書いていきます。これからも頑張って記事を書いていくので暇つぶし程度にみてもらえるととてもうれしいです。この本を読んだことがある人はあなたの感想を聞かせてください。